青い鳥の話
「一生懸命に見ようとしても見えないが、君たちの心に何か夢ができ、希望がわいた時に、ふっと頭の上を見てごらん。何羽もの青い小鳥が楽しそうに飛んでいるのが見えるはずだ。こんな時、そっと手を伸ばしてこの青い小鳥をうまく捕まえることができれば、君たちの夢はかなえられるんだ。諦めてはいけない、根気よくやってごらん」
老人はそう言い残して健介と康太の兄弟の前から去っていった。
二人はキツネにつままれたような気持ちで、身なりの粗末なその老人が、お宮の鳥居を抜けて、森の中へ消えていくうしろ姿を見つめていた。
「今のおじいちゃん、なんか仙人みたいだね」弟の康太がつぶやいた。
「きっとここのお宮の神様さ」兄の健介は真剣な顔で答えた。
二人はさっきからしていたどんぐり拾いをまた始めた。家で飼っているシマリスのごはんだ。いっぱい拾ったどんぐりをポケットに詰め込んで、無言のまま歩き始めたが、二人ともさっきの老人のことが何となく気になっていた。それともその晩に起きる大変な事件の予感だったのだろうか。健介も康太も言葉を一言も交わさずに家に戻った。
秋の夕暮れは素早く、あたりはすっかり暗くなっていた。
本格的に雨が降り出したのはその日の夜遅く、日付が変わろうとする頃だった。健介と康太はテレビの天気予報で、台風が前線を刺激して雨が強くなることを見て寝床についた。明日の運動会の予行練習はきっと中止だろう、そんな話を二人でしながらやがて眠ってしまった。
あたりが白んできた早朝のこと。ドーン・ドドーンと大きな音と地響きで、二人は跳び起きた。
「何があったのだろう」二人がそう思う間もなく、家の外で村の人々の騒ぐ声が聞こえてきた。その声がザーザーっと激しく降る雨の音にかき消され、よく聞こえない。
「まだ家の中にいるぞー。消防団を呼んで来い」
「裏山から泥水が急に流れてきたぞ。危ないから避難しろ」
「だめだ、子供たちがいる。助けるのが先だ」
二人の緊張がピークに達した時、奥の部屋からお母さんの声がした。悲しいような、いつもとは全く違った真剣な声だった。
「早く逃げなさい。山が崩れそうよ。健ちゃんも康ちゃんも急ぐのよ。早くして」お母さんの震える声が終わるか終わらない時、
「ドーン、バリバリバリ、ガシーン」
家全体が大きく揺れて電気がパッと消え、夜明けの薄白い光も、建物の残骸や土砂の下では全く見えず、あたりはどんなに目を大きく開けても、何一つ見えない暗闇になった。
「康ちゃん、康ちゃん、おかあさん、おかあさーん」
健介は必死だった。何が今起きたのか、自分がどんな状況か全くわからない。ただただ大変なことが我が身に迫っていることだけは理解できた。
「兄ちゃんここだよ。何も見えない」弟の康太は半分泣きながら兄の健介に答えた。
「康ちゃん、手を出しな。ここだよ。こっちだよ」健介の懸命に伸ばした指の先に、わずかに康太の指が触れた。
「兄ちゃん、怖いよ。泥が首まできたよ」
「大丈夫、頑張れ康ちゃん」と言ったものの健介も身体が震えている。
康太の鳴き声もだんだん小さくなり、康太が弱ってきたように思える。
そうこうしているうちに、いつまた裏山が崩れて健介たちの上に、大量の土砂が押し寄せてくるとも限らない。今はさしあたっての目の前の恐怖と戦うしかない。健介は急に自分が強く冷静になったように感じた。
その時、昨日お宮で出会った老人のことを思い出した。
あの青い鳥の話は本当だと思った。心に希望を持てば、青い鳥が頭の上を飛ぶのが見えるのだろうか。健介はこの場から自分たちが助かるのではないかと思えてきた。この暗闇の中でも青い鳥は見えるのだろうか。
健介は目を大きく開いて自分の頭の上を見つめた。
「何も見えないじゃんか」健介は心の中でつぶやいた。
「いや、待てよ。あそこに小さく見える動くものは何だ」健介は暗闇の中に、小さいながらも美しい青い鳥を見つけた。
「青い鳥だ」
青い鳥は少しずつ大きくなって、健介の方に近づいてきた。
「手を伸ばすんだ。青い鳥をつかまえなくては。康ちゃんだって死んでしまうかもしれない」健介は必死だった。康太にいくら声をかけても返事が返ってこない。健介はあわてていた。「康ちゃん、しっかりして」
健介は一生懸命に手を伸ばした。届きそうで届かない。青い鳥をつかまえないと、自分と弟の生命が危ないという気持ちで必死だった。腕から肩が外れるのではないかと思うくらいに伸ばした。青い鳥は今すぐそこにいる。だんだん大きくなる。
「つかまえた。つかまえた」健介は大きな声で叫んだ。と、その時、健介の手を大きく温かな手がぐいっとつかみ、引き上げた。
「大丈夫か。今助けるぞ、がんばるんだ」
消防団の若い男の人が助けてくれたのだ。もちろん康太も助かった。
健介が見た青い鳥は、雨上がりの青空が土砂と建物の隙間から見えていたのだ。
その隙間からのぞいた健介の小さな手は、生きる希望に向けて諦めなかった健介の気持ちの表れだった。
引き上げられた健介と康太を、お母さんは泣きながらいつまでも抱きしめていた。
お宮の森の上にあった青空は、いつの間にか朱鷺色の薄紅い夕焼けに変わっていた。