夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#74
勇気
健介は中学二年生の一学期に野球部に入った。一年生の時、クラブ活動は美術部だけであったが、そろそろ好きな野球をしたいと思っていた。週の内5日が練習日だった。練習はいつも暗くなるまでなので夏は7時、冬は5時には終了していた。
ある夏休みの午後野球部の練習中のこと、センターを守っていた健介にコーチの強烈なノックのボールが飛んできた。いつものように落下点を目指して全速力で最短距離を走る健介のはるか頭上をボールは超えていった。健介はボールを拾いに園芸部のやっている花壇まで行くと、そこに一人の女の子が花の手入れをしていた。年の頃は健介と同じくらいだろうが、どことなく落ち着いた振る舞いが大人びた女性らしさを感じさせると健介は思った。白いシャツに紺色のスカートの女の子はこちらを振り向いた。
「すみません。ボールを取らせてください」
「あ、このボールですね。野球部のボールはよく飛んでくるのよ」
そう言ってその女の子はボールを拾って健介に渡した。その時のどことなく優しい仕草が健介の心に残った。あとで園芸部の友達に聞くと、女の子の名前は美佐と言い、健介より一年上だった。
翌日から練習のたびに健介は園芸部の花壇が気になって仕方がなくなった。守備練習もなるべく花壇の側のセンターを志願した。しかしなかなか美佐には会えなかった。ところがある日、いつものように守備練習に着くと美佐がいる。健介の心臓はドキドキと激しい動悸に襲われた。同時に身体が硬直していつもなら簡単に捕れるフライもポトリと落とすし、良いところが全くなかった。
良いところを見せようとする意識が健介を緊張させたに違いない。
次の週から健介は作戦を立てることにした。それは美佐がいる時にはわざとエラーをして彼女のいる花壇までわざわざボールを拾いに行くことにしたのだ。この作戦は見事大成功、ボールを拾うたびに健介は美佐と言葉を交わすようになった。「またエラーしちゃった」と言うと美佐は必ず「練習不足よ」と言った。
しかしとうとうばれたのか「わざとエラーしてるんじゃないの?」と言うようにさえなった。いずれにしても健介と美佐の距離はだんだん近くなってきたことは間違いなかった。
健介は美佐に自分の野球の試合を見にきてほしかった。なぜなら、初めの頃、美佐の前で下手くそな自分の姿を見せてしまったからだ。どうしても自分が上手なことを知ってほしかった。だから他校との公式戦を是非見てもらいたいという気持ちが強かった。でもいざ美佐を目の前にするときまり悪さと、断られた時の気まずさやショックが思い浮かんで、とても言い出せないでいた。
そんなことを迷っているうちにある日の放課後、美佐を誘う絶好のチャンスがやってきた。美佐が一人で花壇の世話をしていた。この日は練習もない日だったので健介は思い切って切り出した。
「今度の月曜から大会の予選が始まるんだけど、できたら応援にきてくれないかなあ。今年の野球は強いからね、楽しいと思うんだ」
健介は全身の勇気を振り絞って誘ってみた。
「ええ、私もそのつもりだったの。健介君に会ったら、応援に行かせてとお願いしようかなと思っていたのよ」
とてもうれしかった。
健介は生まれて初めて勇気って大事なんだなあと思った。そして当たってみればなんとかなるものだとも思った。
「ダメでもともと」の精神こそ男子には大切だと思った。