夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#19
攻守はどちらも戦略
『戦うことは基本的には体力を消耗して、自らの力や勢いを落とすだけだ。やむを得ない場合以外は極力避けよ。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(孫子)』
攻めてばかりいれば疲弊するし、守ってばかりいれば、敵は安心して反撃のないことをいいことにして攻めかかる。
戦わずして勝つのが最も良いが、そのためには敵の状況や事情を正確に理解しておくことが肝心だ。
負け戦はしてはいけない。勝ち目のある戦だけ戦うようにすべきだ。
『戦うことは基本的には体力を消耗して、自らの力や勢いを落とすだけだ。やむを得ない場合以外は極力避けよ。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(孫子)』
攻めてばかりいれば疲弊するし、守ってばかりいれば、敵は安心して反撃のないことをいいことにして攻めかかる。
戦わずして勝つのが最も良いが、そのためには敵の状況や事情を正確に理解しておくことが肝心だ。
負け戦はしてはいけない。勝ち目のある戦だけ戦うようにすべきだ。
「一生懸命に見ようとしても見えないが、君たちの心に何か夢ができ、希望がわいた時に、ふっと頭の上を見てごらん。何羽もの青い小鳥が楽しそうに飛んでいるのが見えるはずだ。こんな時、そっと手を伸ばしてこの青い小鳥をうまく捕まえることができれば、君たちの夢はかなえられるんだ。諦めてはいけない、根気よくやってごらん」
老人はそう言い残して健介と康太の兄弟の前から去っていった。
二人はキツネにつままれたような気持ちで、身なりの粗末なその老人が、お宮の鳥居を抜けて、森の中へ消えていくうしろ姿を見つめていた。
「今のおじいちゃん、なんか仙人みたいだね」弟の康太がつぶやいた。
「きっとここのお宮の神様さ」兄の健介は真剣な顔で答えた。
二人はさっきからしていたどんぐり拾いをまた始めた。家で飼っているシマリスのごはんだ。いっぱい拾ったどんぐりをポケットに詰め込んで、無言のまま歩き始めたが、二人ともさっきの老人のことが何となく気になっていた。それともその晩に起きる大変な事件の予感だったのだろうか。健介も康太も言葉を一言も交わさずに家に戻った。
秋の夕暮れは素早く、あたりはすっかり暗くなっていた。
本格的に雨が降り出したのはその日の夜遅く、日付が変わろうとする頃だった。健介と康太はテレビの天気予報で、台風が前線を刺激して雨が強くなることを見て寝床についた。明日の運動会の予行練習はきっと中止だろう、そんな話を二人でしながらやがて眠ってしまった。
あたりが白んできた早朝のこと。ドーン・ドドーンと大きな音と地響きで、二人は跳び起きた。
「何があったのだろう」二人がそう思う間もなく、家の外で村の人々の騒ぐ声が聞こえてきた。その声がザーザーっと激しく降る雨の音にかき消され、よく聞こえない。
「まだ家の中にいるぞー。消防団を呼んで来い」
「裏山から泥水が急に流れてきたぞ。危ないから避難しろ」
「だめだ、子供たちがいる。助けるのが先だ」
二人の緊張がピークに達した時、奥の部屋からお母さんの声がした。悲しいような、いつもとは全く違った真剣な声だった。
「早く逃げなさい。山が崩れそうよ。健ちゃんも康ちゃんも急ぐのよ。早くして」お母さんの震える声が終わるか終わらない時、
「ドーン、バリバリバリ、ガシーン」
家全体が大きく揺れて電気がパッと消え、夜明けの薄白い光も、建物の残骸や土砂の下では全く見えず、あたりはどんなに目を大きく開けても、何一つ見えない暗闇になった。
「康ちゃん、康ちゃん、おかあさん、おかあさーん」
健介は必死だった。何が今起きたのか、自分がどんな状況か全くわからない。ただただ大変なことが我が身に迫っていることだけは理解できた。
「兄ちゃんここだよ。何も見えない」弟の康太は半分泣きながら兄の健介に答えた。
「康ちゃん、手を出しな。ここだよ。こっちだよ」健介の懸命に伸ばした指の先に、わずかに康太の指が触れた。
「兄ちゃん、怖いよ。泥が首まできたよ」
「大丈夫、頑張れ康ちゃん」と言ったものの健介も身体が震えている。
康太の鳴き声もだんだん小さくなり、康太が弱ってきたように思える。
そうこうしているうちに、いつまた裏山が崩れて健介たちの上に、大量の土砂が押し寄せてくるとも限らない。今はさしあたっての目の前の恐怖と戦うしかない。健介は急に自分が強く冷静になったように感じた。
その時、昨日お宮で出会った老人のことを思い出した。
あの青い鳥の話は本当だと思った。心に希望を持てば、青い鳥が頭の上を飛ぶのが見えるのだろうか。健介はこの場から自分たちが助かるのではないかと思えてきた。この暗闇の中でも青い鳥は見えるのだろうか。
健介は目を大きく開いて自分の頭の上を見つめた。
「何も見えないじゃんか」健介は心の中でつぶやいた。
「いや、待てよ。あそこに小さく見える動くものは何だ」健介は暗闇の中に、小さいながらも美しい青い鳥を見つけた。
「青い鳥だ」
青い鳥は少しずつ大きくなって、健介の方に近づいてきた。
「手を伸ばすんだ。青い鳥をつかまえなくては。康ちゃんだって死んでしまうかもしれない」健介は必死だった。康太にいくら声をかけても返事が返ってこない。健介はあわてていた。「康ちゃん、しっかりして」
健介は一生懸命に手を伸ばした。届きそうで届かない。青い鳥をつかまえないと、自分と弟の生命が危ないという気持ちで必死だった。腕から肩が外れるのではないかと思うくらいに伸ばした。青い鳥は今すぐそこにいる。だんだん大きくなる。
「つかまえた。つかまえた」健介は大きな声で叫んだ。と、その時、健介の手を大きく温かな手がぐいっとつかみ、引き上げた。
「大丈夫か。今助けるぞ、がんばるんだ」
消防団の若い男の人が助けてくれたのだ。もちろん康太も助かった。
健介が見た青い鳥は、雨上がりの青空が土砂と建物の隙間から見えていたのだ。
その隙間からのぞいた健介の小さな手は、生きる希望に向けて諦めなかった健介の気持ちの表れだった。
引き上げられた健介と康太を、お母さんは泣きながらいつまでも抱きしめていた。
お宮の森の上にあった青空は、いつの間にか朱鷺色の薄紅い夕焼けに変わっていた。
『幸運はさらなる幸運を呼び、不運は次なる不運を呼ぶ』
運と不運はすべての人に訪れる。統計学的に考えれば、当然のことながらどの人にも運と不運は平等にやってくるはずだが、世の中には運の良い人と運の悪い人が必ずいる。この違いは何だろうか。ツイてる人はどんなことも諦めずに、自分のツキを信じて前進するが、運の悪い人は「どうせだめだよ」と思って、途中で諦めていることが多い。ここが運命の分かれ道なのだ。
運を捕まえるにはプラス思考と努力が大切。そして自分がツイていると思うことが肝心だ。運を呼び込むコツは次のようになる。
運を諦めずに継続的に捕まえようとする気持ちが必要。
運は捕まえられると思っている人にしか捕まえられない。
運は自分自身を幸運だと思っている人に訪れることが多い。
運不運は統計学的には単なる「一瞬の揺らぎ」だが、運を呼び込むことはできる。
長い人生には猛烈にツクことが二、三回ある。そのチャンスを逃さぬよう用心深く対処しよう。
運は切り開けるものであるが、日頃から頭を柔らかくして、チャンスをつかむ心の準備をしておくことが大事だ。ここで言う心の準備とは、いつチャンスが来るかもしれないという期待を常に持って、準備していることである。棚からぼたもちのような運はまずない。君の努力の結果として運が向いて来るのである。
『勝ち目のないときは格好をつけずに、一目散に逃げよ』
悪い状況が続いた時、解決策の尽きた時は、逃げることを考えよ。逃げることも大事な戦術の一つである。
逃げることは格好の悪いことではない、むしろとても勇気のいることである。攻めることより退く時のほうが、決断も勇気も必要である。
戦わずに逃げることが、次のステップに大きな余力を残すから、再起をかけて逃げるようにしよう。
逃げて逃げて逃げまくれ、格好など気にするな。「三十六計逃げるにしかず」という言葉の通り、逃げることは最高の解決策でもある。そして、失ったものを考えるより残ったものを考えよ。何も残っていなくてもよい、君の身体一つあれば何とかなるものだ。
残すべき大切な物や人のことを考えて、次の準備をすることが大事だ。再帰可能なことが重要なのだ。
潔さは何の足しにもならない。粘り強く諦めないことが未来を切り拓くのだ。
『プラス思考をして損なことは何一つない。プラス思考こそ成功のための大事な鍵だ。積極的な思考は人を動かし、歴史を動かしてきた』
自信は己を正しく分析し長所、短所を把握することによって生ずる。プラス思考の元は自信を持つことである。
弱気になるとすべてが後ろ向きに逆回転する。人には雌時と雄時がある。弱気で後ろ向きな雌時に決めたことはだいたい失敗するが、勇ましく前向きの雄時に決めたことは、うまくいくことが多い。
強きになると幸運が味方することが多い。幸運の女神は強気が好みだ。
強きになるにはプラス思考の習慣が必要である。そのためには自分自身の長所、短所をよく理解し、使い分けるようにすると自信が身に付く。そして簡単なことでいいから小さな成功体験を持つことである。
いろいろな情報を整理して、正しく判断しないと人はマイナス思考になりがち。ただし、一度プラス思考の習慣が身に付くと弱気から解放される。
自信こそ将来に向けての挑戦意欲につながる。だから、自分自身を自分で認めなくて、誰が認めてくれるのか?君は自分自身が好きだろうか。自己嫌悪はあまり続くとマイナス思考になるから要注意。極端でない限り自己愛を持っていることはとても良いことだ。
マイナス思考になって何が良いのか?臆病になるだけだ。プラス思考、積極思考でいた方がすべての点で得なことは間違いない。
『一人で解決するな。専門家の力を借りよ』
すべてのトラブルは正しく対処することによって解決する。一人で悩まず、必ず多くの人に相談せよ。
当事者同士で話し合わずに、弁護士のような第三者を通したほうが良い場合が多い。
トラブルの多くは早めに手を打つことによって、解決が楽になる。放置しないほうが良い。
決して感情的にならず冷静に対応することが必要。その際一人で判断せず、人の意見を必ず聞くようにしよう。
相手の立場になって考えると容易に解決策が見つかることが多い。特に話し合いになった場合は、まずよく相手の話を聞くことが解決の第一歩である。
専門の知識が必要な場合は専門家に相談すること。専門家はこんな時のためにいるのだから大いに利用したほうが良い。
まったく損をしないような解決策は考えるな、相手の逃げ道も用意せよ。
特にいじめのような原因がないようなトラブルは、一人で解決せずに多くの人の知恵を借りよ。恥ずかしいことでも何でもないから、みんなに相談して解決策を見つけるようにしよう。
『人は威張ったり驕ったりすると没落することが多い。そしてみじめな思いをするものだ。このことは長い人生でよく目にする出来事でもある。「おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」(平家物語より)』
人生の最大の過ちは、すべてその人の傲慢に起因する。
利害に関するもの、詳しい知識が必要な根本的なことは、専門家に必ず相談せよ。
世の中に決していい話はない。タナボタ式のいい話には絶対に乗るな。あとで悪い結果が待っている。
自分の評価を常に正しく把握することが大切、同時に人の評価も正しくするよう努力せよ。この際自分には甘い評価をしがちになるから注意せよ。
お世辞を言う人間と暗い人間には、近づかぬよう、近づけぬようにせよ。
どんな人に対しても、威張らずに優しく謙虚に接することが肝心。
調子に乗ったり、傲慢になったりして人生を賭けるようなこと、一か八かの勝負はするな、必ず失敗する。
勝負を賭けるのは、勝算が120%以上ある時だけにせよ。
『人の見せる態度には嘘が多いことを知れ。だからすぐに感心しないで、よく相手を観察することが大事である』
・人は見かけによらぬもの
見るからに大げさな人は、実は逆で力がないことが多い。
巧言令色〔お世辞やうやうやしい態度〕は嘘が多いから注意せよ。
豪放磊落に見える人ほど小心である。
人と群れたがる人は、お人好しで気の弱いところはあるが、親切である。
いかにも仕事ができそうな人ほど、仕事ができないことが多い。
見るからの優しさや親切には、必ず狙いがあるから注意せよ。
安請け合いや調子の良い返事は、誠意がないものだ。
人の話をよく聞く人は優しい心の持ち主である。
注意をしてくれない人は、こちらに興味がない。逆によく注意してくれる人は、本当に優しい人だから大切にせよ。
まじめで融通の利かない人は裏切らないから大切にせよ。
お世辞には必ず狙いがある。特に人の劣等感や悩みをついてお世辞をいう人には注意せよ。
指導者で部下や子どもを放任する人は指導の自信がない。
暗い人は思わぬ敵意を持ちやすいから、近づかない方が良い。
親孝行な人は義理堅く誠実である。親孝行は、人を判断する時の最高の材料である。
口数の多い人は我慢が下手である。口数の少ない人は逆に我慢強い。
愚痴を言う人は伸びない。愚痴は可能性の扉を閉ざしてしまうから、言わないようにしよう。
仕事や動作の変わり目に時間のかかる人は、世間知らずでのんびり屋だ。
自信のある人ほど人の忠告をよく聞く。逆に自信のない人は耳に栓をして、人の忠告を受け入れない人が多い。
人のことを考えないマイペースな人は実行力がある。
知識や情報はマイナスイメージをもたらすことがあるから、情報過多にならないように気をつけよう。
・態度に見える人の本質
商売の際に、値切る人こそ真剣に買いたいと思っているから大切にしよう。
本当のお金持ちは質素に生きている。派手に生きて羽振りの良い人は一時的なものであることが多い。
部下として最も大切な資質はまじめさと従順さである。
上司として最も大切な資質は、部下への思いやりと責任感である。
最も大切な男らしさは、度胸と家族を守る気持ちである。
最も大切な女らしさは、愛嬌と家族をまとめる安定力である。
人は別れ際、去り際に本心があらわれる。
愚痴や文句を言わない人は幸せになる。
人に恩を着せる人は、そのために自分自身で苦しむことが多いから、人にかけた恩は忘れるようにしよう。
厳しいところに飛び込んでいく勇気のある人は、成功する確率が高いが、身の安全を測りながらやる必要がある。
人は自分を認めてくれる人の前では全力を尽くす。これは人使いの大事なポイントである。
自分にやましい所や弱みがある人は、人に対して甘くなりがち。
仕事に真剣に取り組んでいる上司は部下から見て怖いもの。部下に優しく甘い上司になってはいけない。
人には守備範囲があり、オールマイティーな人など絶対いない。だから、自分にできない範囲は、それができる人の力を借りることが大事だ。
『オリンピックで金メダルを取る選手と、銅メダルの選手の間にある決定的な違いは何だろうか』
おそらくスタート前に、すでに金メダルと銅メダルは決まっていたに違いない。
ここに最もわかりやすい例がある。シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子と、アトランタ五輪で銅メダルを取った有森裕子の違いである。
高橋はスタート直前にイヤホーンで好きな音楽を聴いていた。それは自分自身をリラックスさせるというよりむしろ好きな曲だからという感じであった。彼女はすでに自分が金メダルを取ることを当然のこととして確信していたのだ。
これに対して有森は三位でゴールインした後、「自分を褒めてあげたい」と三位である結果に満足したコメントを出した。この違いがわかるだろうか。
高橋の金メダルは取るべくしてとったメダルなのだ。これに対して有森のメダルはたまたま取れたメダルなのだ。彼女にはもちろんメダルを取る努力も能力もあった。金メダルを取る能力もあったかもしれない。ただ当然取れるという心の準備はなかったと思う。つまり、物事を達成するにはこの当然という心の準備が大事なのだ。
このことは人生の途中で起きる多くの通過点でも言えることなのだ。例えば受験。自分の志望校に入るための努力は誰でもするだろう。ただ自分が当然合格できるというところまで努力をする人は少ない。当然合格と思うまで努力した人は必ず合格する。自分が当然社会で大成功すると思って準備した人は、いつの日か必ず大成功している。これが人生の法則なのだ。
『いやなことはやめろ、我慢して無理してするな。何の得にもならない。本来仕事や人生は楽しくなくてはいけない。それもとびきり楽しいのが良い』
仕事を継続するには楽しくなければならない。つらいことやつまらないことは、途中でやめたくなってしまうし、続かない。
楽しいこと、好きなことは、苦しくてもつらくても続くし、休みを取りたいとも思わなくなるくらい楽しい。楽しみながらすることはいつの間にか、高いレベルになっていることが多いものだ。
人生のなかで楽しいことを持っていないのは不幸せ。趣味が楽しい人は大勢いるが、仕事が楽しい人は少ない。仕事も楽しいに越したことはないし、その方が確実に成功しやすい。だから楽しい仕事をするべきである。
楽しむためにはまず義務感を捨てること。「ねばならない」とか「しないといけない」という義務感や拘束感は捨てよう。
人生では楽しいことをたくさん持っていることが、理想的で幸せなこと。
好きなことをしないことも大切。好きなことは苦しくない。つらくない。だから長続きして夢がかないやすいのだ。
ご質問や受講に関するご相談がありましたら、お気軽にお問い合わせください。お子様の成長をサポートするため、丁寧に対応させていただきます。