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夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#26

嘘が本当になる話

 

嘘にはいろんな嘘がある。嘘も方便というような嘘、自分の身を守るための卑怯な嘘、自分の希望や夢を嘘のように語る大ボラなぢ様々だが、ここでいう嘘とは最後の大ボラの話だ。

健介の友達に周平という少年がいた。明るく活発な子でいつもおもしろいことを言うので、周平と遊ぶのが健介も好きだった。ある時周平が健介にこんなことを言った。

「この前、じいちゃんの家の畑で小判が見つかって、大勢の大人が見に来たんだって。なんでも江戸時代の珍しい小判で、その一枚だけで自動車が買えるんだってじいちゃんが言っていたよ」

「へー、すごいなあ。春に菜の花でいっぱいになる畑だね」

健介はその畑で今までも何度か遊んだことがある。

「そうだよ、あそこだよ」

健介はとてもうらやましかった。健介は埋蔵金発見の話や、恐竜の化石を見つけた話が大好きだった。だから周平の話を聞いて、自分の身近で現実にこんなことが起きたということがうれしいし、うらやましかった。

「小判見せてくれる?」

「じいちゃんが箱に入れて持っているよ」

周平は素っ気ない返事をした。それから数日後。健介は学校の帰りに周平の家に寄ってみた。周平はいなかったが、姉の悦子がいた。

「畑で見つかった小判を見せてください」

健介の声を聞くと悦子は急に笑い出した。

「小判じゃないわ。寛永通宝という銅銭よ、見つかったのは」

そう言いながら悦子は、マッチ箱に入れてある銅銭を見せてくれた。

「周ちゃんから聞いたんです。ありがとうございます」

翌週の土曜日の放課後、このことで周平は健介に一つの提案をした。

「健ちゃんなあ、絶対あるんだよ。あそこに小判が」

「それじゃあ二人で探そうよ」

健介と周平は、学校の潮干狩り遠足でもらったスコップと熊手を持って畑に向かった。

一時間、二時間、夢中で掘った。しかし何も出てこない。でも二人とも帰ろうとは言い出さなかった。何も出てこないのに何か楽しいもの、ゾクゾクさせるものがあった。今に見つかる子もしれないという期待感が二人にいつまでも土を掘らせた。

二人のお腹がグーっと鳴り出した時だった。

周平の熊手がカチャッと何かに当たった。小判だと思ってみると熊手の先には何枚もの銅銭があった。がっかりしたが二人のスコップを持つ手にはますます力が入っていた。子供にとって銅銭だって最高の宝物だ。

もう空腹感なんて二人にとってはどこかに飛んで行ってしまった。それどころかその二十分後には健介の熊手になんと本物の小判がかかっていたのだ。続いて周平の熊手も小判をとらえた。もう何が何だかわからないほど興奮する二人の少年の拾った小判は、これだけではなかった。この後、半日がかりで、全部で十五枚の小判がザクザクと出てきた。新聞記事にまでなる大騒ぎになった。

「本当の小判を取っちゃったね。夢みたい」と健介は思った。

周平は得意げに言った。

「なあ、言った通りだろ?」

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#25

自己成長とその意欲

 

『こんな人になりたいという目標を持つようにする』

 

人には成長する人としない人がいる。年齢が増えても中身が変わらない人も多い。成長する人は年齢と関係なく伸びてゆく。成長しない人はいつまで経っても同じことを繰り返しているものである。

その決定的な違いは、意欲の有無と自分自身の向上心である。向上心を支えるものは、その人の環境や、夢やチャレンジ性である。いずれにしても目標を立てることは大切である。

自己成長できる人は、建前や見栄を気にしないで、自分に真の実力をつけようとする。とにかく本物を目指すことが何より大事である。

目標や夢を持つと自己成長しやすくなる。だから夢や目標や理想はチャレンジ性の元となり、大事なことである。何をしたいか、どんな人物になりたいか、そしてどんな人生を送りたいかを、若いうちに考えておくことはとても重要なことだ。人生の目標が若い時からできている人は、迷わず道を突き進むことができる。

人を認めること、人から認められることが自己成長を促す。だから認めてもらうように努力することが肝心だ。

ほめられる、頼られると人は必ず成長する。だからほめられるような人になりたいと思い、精進することが自分自身を向上させるものだ。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#24

楽しく遊び、上手にお金を使う

 

『子どもがそうであるように、大人も遊びから学ぶことは数多い。よく遊ぶ子は働き者になる。子どもにとって遊ぶことは働くことと同じなのだ。人生では、遊ぶ子の方が遊ばない子より多くのチャンスを持っているものだ』

 

勉強だけでなく遊びというものは、車のハンドルの「遊び」のように、余裕と臨機応変さを身に付けるために役に立つもの。

遊びは新たな創造性や可能性を生み出し、人間性の幅を広げる。

遊びは一歩間違えると放蕩になるから、上手な遊び方が大事。

遊びには厳然たるルールが必要なことがある。守れないなら遊ぶな。

相手やお金に振り回されるような遊びは、最も避けるべきものである。これはもはや遊びではない。「朱に交われば赤くなる」ということわざの通り、悪い仲間と交われば悪くなるし、レベルの高い仲間と交われば高いレベルになるものだ。注意が必要である。

遊びにはお金を惜しんではいけない。だから余裕のない時は、お金のかかる遊びはするな。

お金の使い方がきれいであること、人に対しての気前のいいことが遊びの基本。お金の使い方にその人の人柄が現れるから、気を付けないといけない。ケチな人はそれなりにお金のかからない遊びをすれば良い。

余力のない者が遊ぶと、汚い遊び方になるので要注意。

いつの間にか遊びが主役になるようでは、遊んではいけない。遊びはあくまで遊びである。

普段、お金は優先順位を付けて使うことが必要だが、遊びでは優先順位がいらない。自分を高めて成長させる様なお金の使い方が大事である。

情けとお金は人のために使っても、必ず自分に戻ってくる。「情けは人のためならず」と同じである。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#23

人生にやる気と勇気を与えるもの

 

『つらいことを我慢してするな。楽しいことのみ考え思い浮かべるようにしよう。子どもはみな、みずみずしさという水分を持っている。このみずみずしさがあると正義に感動し、美に感激し、不可能に挑戦する夢を見て、まっしぐらに突き進む勇気がわく。これぞ計算のない純粋な幼さなのかも知れない。これは年齢とともに色あせ、干からびてしまう。人間に大きな力とやる気と勇気を与えるのはこのみずみずしさである。楽しい人生を送るためには、次のようなことが必要だ』

 

人に恩を着せない。恩を着せれば自分が苦しくなるだけ。

人を批判しない。批判すれば自分も批判されるようになってくる。人はみな、自分の都合で人を批判する。

愚痴を言わない。ますます苦しくみじめになるだけ。

人目を気にしないような自分のペースを持つことが大事。ありのままで良い。

物事の選択肢を広く持つようにする。どんな食べ物でも、どんな人でも対応できる人は幸せ。

親孝行をする。親孝行は感謝の原点。親に感謝できない人がどうして他人に感謝できるだろうか。

好き嫌いをなくす。好き嫌いは人の器の大きさと柔軟さを左右する。

自己責任を貫く。人のせいにしない。すべては自分が決めたこと、自分の責任なのだからと思うことができれば幸せである。

人間本来のみずみずしさを失わない。楽しく夢中になることを持つことがみずみずしさの原点である。

大好きなことをいつも持っている。「好きこそものの上手なれ」大好きなことはうまくいくことが多い。

笑顔が次々と笑顔を呼ぶ。笑顔の周りには笑顔が生まれる。

「笑う門には福来る」笑顔が一番大事。笑顔は自分のためにもなるのだ。笑顔は自分に対する微笑みでもあるのだ。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#22

度量、器量を身に付けるには

 

『人を好きになることが基本である。損ができること、人を許せること器の大きさである』

我慢も大事だが、無理せずに自然な生き方をすることが大事。

嫌いなもの、嫌いなこと、嫌いな人をなくす。食べ物の好き嫌いをなくすことは、器を大きくするための第一歩である。

分け前を独占してはいけない、必ず人に分けること。欲張るより分け与えることの方が、後で得をすることが多い。

 

格好をつけないで、常に自然なありのままの姿で振る舞うようにする。

ありのままで振る舞うことは、とても勇気がいるが、これを身に付けると肩から力が抜け、視野が広がり、より広い世界が見えるようになってくる。

 

自分が犠牲になることをいとわない人は器が大きい。

つらい経験が自分に役に立つことを知ると、人としての幅が広がる。

反感を買うのを恐れず、勇気を持って決断することも器を大きくする。

 

規則通りに何事も考えていると、人生の深みは測れない。

臨機応変な頭の柔らかさが大事だ。頭の柔らかさも器の大きさを呼ぶ。

自ら泥をかぶれる勇気を持つ。いいじゃないか、自分がやるよと言う気持ちが大事。

けじめをつけることも大切、けじめのつけ方に度量が現れる。

損を恐れない。損ができる人、人を許せる人、リスクを冒せる人がやがて成功する。

真剣勝負を心掛ける。物事をする時は、常に真剣勝負と思って全力で臨め。

 

人を許すことが、やがて大きな得になる事を知る。ケチくさい人になってはいけない。物事を大きく眺め、小さなことに執着せず、大事なことを見落とさないような人物になることが望ましい。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#21

大空に舞い上がる巣立ちの兆し

 

健介はある夜、不思議な夢を見た。

学校の帰りに公園の横を通ると、雑草と思っていたヤブカラシにきれいなオレンジ色の花が咲いていた。見落としそうな小さな花だが、その花に大きなスズメバチが来て蜜を吸っていた。スズメバチに刺されると大変なので、健介は逃げようとしたが足が動かない。でもスズメバチはやがて蜜を吸い終わって、どこかに飛んでいった。ほっとした瞬間、健介は自分の身体が軽くなって、いつの間にか少し浮いているのに気が付いた。足元を見ると、自分の足が地面からほんの少し離れていた。

「浮いている!」

健介は驚きのあまり大声で叫んだ。何だかとてもうれしい気持ちになってきた。健介は両手を鳥が羽ばたくようにパタパタと動かしてみながら、再び足元を見ると足が地面からどんどん離れていく。もう一メートルは離れている。さらに動かすとフワリフワリと高くなる。もう電線の高さを超えている。楽しくてたまらない。目の高さをさっき見たスズメバチが飛んでいる。でも今は少しも怖くない。

不可能だと思っていたことができるようになった喜びが、全身を駆け巡った。

健介がこの夢を見るのは初めてではない。今までにも何度か見たことがある。そしてこの夢を見た時は、必ずその後にとても良いことが起きるのだ。きっと良いことが起きる予感があったのかもしれない。いや、もっともっと強い自信のようなものが心にあったのかもしれない。

この日の夕方、あたりが暗くなりかけた頃、健介は康太と二人でお宮の裏にあるクヌギ林にカブトムシを捕りに出かけた。この森はかつて炭を作るためのクヌギやカシを育てていた所で、今でも大木が何本も立っている。この樹液に夜になるとたくさんの種類の虫たちが集まってくる。カブトムシ、コクワガタ、コカブト、ノコギリクワガタ、アカアシクワガタなど。本当に運が良ければ、オオクワガタがいることもある。オオクワガタは七センチもあるような超大物もいる。夕食後二人は、懐中電灯と虫かごと捕虫網を手に森に向かった。まず最初のポイントだ。ここの木は細いが、よくクワガタが捕れるカシの木だ。二人は声を合わせて足でこの木の幹を蹴っ飛ばす。と同時にバラバラバラと木の上の方から、雨のように何かが落ちてくる。クワガタの雨だ。ノコギリクワガタ、コクワガタが雨のように降ってくる。一度に二十匹も捕まえた。

「大漁だ!」

次はクヌギの大木だ。昼は紫色に輝く大型の蝶、オオムラサキが何十匹も樹液に群がっている木だ。予定通りだった。たくさんのカブトムシが樹液に集まっている。まるでみんなで頭を寄せ合って、むずかしい会議をしているようだ。シロスジカミキリやミヤマカマキリもいる。ゴミムシやシデムシまで来ている。夜の森は本当ににぎやかだ。

二人は次々とクヌギやカシの幹や、根元の樹液の出ているところを見て回り、一時間もしないで七十匹以上のカブトムシやクワガタムシを捕まえた。大満足だった。健介も康太も、勝ち誇ったお相撲さんのように胸を張って、森の小道を手をつないで家に向かった。

森の入り口まで来た時、健介は足を止めた。森の入り口に立っている、大きな桜の古木が目当てだった。ここで町の人が、三年前にオオクワガタを捕ったことがあったからだ。

暗いじめじめした洞の中は、甘酸っぱい樹液のにおいがしている。健介は桜の木の洞の中を懐中電灯で照らしてみた。真っ暗な雨水がたまっている洞の中に、何かうごめくものが見えているではないか。

「いた!オオクワだ!」

そこに見えたのは、巨大な黒光りした角を付け、触角をピクピクさせたオオクワガタの姿だった。健介の手はブルブル震えた。生まれて初めて見る生きたオオクワガタ。しかも七センチをはるかに超える大きさだ。日本最大級のオオクワガタだった。こんな大きさは図鑑にも載っていなかった。

家に戻って康太と定規をあてて正確な大きさを測ってみた。何と八センチ二ミリ!日本記録だ。かつて誰一人としてこんな大きさのオオクワガタを捕った者はいない。

何か良いことがある時は、健介は決まって空を飛ぶ夢を見た。偶然に見たわけではない。健介は前からいつもオオクワガタを捕りたいと思い続けていた。その結果、予感がして空を飛ぶ夢につながったように、自分では思っている。だから夢を見続けている者はこんな経験をすることが多い。この「予感」こそが、夢に向かっている者のみが経験する不思議な出来事なのだ。

 

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#20

成功(良いことが起きる)の兆し

 

『大成功する時は、ドキドキするような絶対の自信とタイミングの良さと世の中の需要がある。成功する時は不思議と120%の成功の確率を感じるものだ』

 

他人の力を借りずに成功する確率が、120%あると思える時。

細かな具体的な戦略と、成功イメージがはっきり思い浮かぶ時。

幸運とかラッキーというのではなく、確実に成功するという確信を心にもてる時。

失敗する要因を探しても一つもない時。こんな時は迷わず前に進もう。

大成功する時は、必ず世の中からの需要と後押しがある。いわゆる追い風というようなものではなく、もっとずっと強い背中を蹴られるような後押しがあるものだ。

夢や目標が具体的になればなるほど、成功の兆しは強くなってくる。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#19

攻守はどちらも戦略

 

『戦うことは基本的には体力を消耗して、自らの力や勢いを落とすだけだ。やむを得ない場合以外は極力避けよ。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(孫子)』

攻めてばかりいれば疲弊するし、守ってばかりいれば、敵は安心して反撃のないことをいいことにして攻めかかる。

戦わずして勝つのが最も良いが、そのためには敵の状況や事情を正確に理解しておくことが肝心だ。

負け戦はしてはいけない。勝ち目のある戦だけ戦うようにすべきだ。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#18

青い鳥の話

 

「一生懸命に見ようとしても見えないが、君たちの心に何か夢ができ、希望がわいた時に、ふっと頭の上を見てごらん。何羽もの青い小鳥が楽しそうに飛んでいるのが見えるはずだ。こんな時、そっと手を伸ばしてこの青い小鳥をうまく捕まえることができれば、君たちの夢はかなえられるんだ。諦めてはいけない、根気よくやってごらん」

老人はそう言い残して健介と康太の兄弟の前から去っていった。

二人はキツネにつままれたような気持ちで、身なりの粗末なその老人が、お宮の鳥居を抜けて、森の中へ消えていくうしろ姿を見つめていた。

「今のおじいちゃん、なんか仙人みたいだね」弟の康太がつぶやいた。

「きっとここのお宮の神様さ」兄の健介は真剣な顔で答えた。

二人はさっきからしていたどんぐり拾いをまた始めた。家で飼っているシマリスのごはんだ。いっぱい拾ったどんぐりをポケットに詰め込んで、無言のまま歩き始めたが、二人ともさっきの老人のことが何となく気になっていた。それともその晩に起きる大変な事件の予感だったのだろうか。健介も康太も言葉を一言も交わさずに家に戻った。

秋の夕暮れは素早く、あたりはすっかり暗くなっていた。

本格的に雨が降り出したのはその日の夜遅く、日付が変わろうとする頃だった。健介と康太はテレビの天気予報で、台風が前線を刺激して雨が強くなることを見て寝床についた。明日の運動会の予行練習はきっと中止だろう、そんな話を二人でしながらやがて眠ってしまった。

あたりが白んできた早朝のこと。ドーン・ドドーンと大きな音と地響きで、二人は跳び起きた。

「何があったのだろう」二人がそう思う間もなく、家の外で村の人々の騒ぐ声が聞こえてきた。その声がザーザーっと激しく降る雨の音にかき消され、よく聞こえない。

「まだ家の中にいるぞー。消防団を呼んで来い」

「裏山から泥水が急に流れてきたぞ。危ないから避難しろ」

「だめだ、子供たちがいる。助けるのが先だ」

二人の緊張がピークに達した時、奥の部屋からお母さんの声がした。悲しいような、いつもとは全く違った真剣な声だった。

「早く逃げなさい。山が崩れそうよ。健ちゃんも康ちゃんも急ぐのよ。早くして」お母さんの震える声が終わるか終わらない時、

「ドーン、バリバリバリ、ガシーン」

家全体が大きく揺れて電気がパッと消え、夜明けの薄白い光も、建物の残骸や土砂の下では全く見えず、あたりはどんなに目を大きく開けても、何一つ見えない暗闇になった。

「康ちゃん、康ちゃん、おかあさん、おかあさーん」

健介は必死だった。何が今起きたのか、自分がどんな状況か全くわからない。ただただ大変なことが我が身に迫っていることだけは理解できた。

「兄ちゃんここだよ。何も見えない」弟の康太は半分泣きながら兄の健介に答えた。

「康ちゃん、手を出しな。ここだよ。こっちだよ」健介の懸命に伸ばした指の先に、わずかに康太の指が触れた。

「兄ちゃん、怖いよ。泥が首まできたよ」

「大丈夫、頑張れ康ちゃん」と言ったものの健介も身体が震えている。

康太の鳴き声もだんだん小さくなり、康太が弱ってきたように思える。

そうこうしているうちに、いつまた裏山が崩れて健介たちの上に、大量の土砂が押し寄せてくるとも限らない。今はさしあたっての目の前の恐怖と戦うしかない。健介は急に自分が強く冷静になったように感じた。

その時、昨日お宮で出会った老人のことを思い出した。

あの青い鳥の話は本当だと思った。心に希望を持てば、青い鳥が頭の上を飛ぶのが見えるのだろうか。健介はこの場から自分たちが助かるのではないかと思えてきた。この暗闇の中でも青い鳥は見えるのだろうか。

健介は目を大きく開いて自分の頭の上を見つめた。

「何も見えないじゃんか」健介は心の中でつぶやいた。

「いや、待てよ。あそこに小さく見える動くものは何だ」健介は暗闇の中に、小さいながらも美しい青い鳥を見つけた。

「青い鳥だ」

青い鳥は少しずつ大きくなって、健介の方に近づいてきた。

「手を伸ばすんだ。青い鳥をつかまえなくては。康ちゃんだって死んでしまうかもしれない」健介は必死だった。康太にいくら声をかけても返事が返ってこない。健介はあわてていた。「康ちゃん、しっかりして」

健介は一生懸命に手を伸ばした。届きそうで届かない。青い鳥をつかまえないと、自分と弟の生命が危ないという気持ちで必死だった。腕から肩が外れるのではないかと思うくらいに伸ばした。青い鳥は今すぐそこにいる。だんだん大きくなる。

「つかまえた。つかまえた」健介は大きな声で叫んだ。と、その時、健介の手を大きく温かな手がぐいっとつかみ、引き上げた。

「大丈夫か。今助けるぞ、がんばるんだ」

消防団の若い男の人が助けてくれたのだ。もちろん康太も助かった。

健介が見た青い鳥は、雨上がりの青空が土砂と建物の隙間から見えていたのだ。

その隙間からのぞいた健介の小さな手は、生きる希望に向けて諦めなかった健介の気持ちの表れだった。

引き上げられた健介と康太を、お母さんは泣きながらいつまでも抱きしめていた。

お宮の森の上にあった青空は、いつの間にか朱鷺色の薄紅い夕焼けに変わっていた。

夢を叶える男の子の育て方(うまのブログ)#17

運と不運

 

『幸運はさらなる幸運を呼び、不運は次なる不運を呼ぶ』

運と不運はすべての人に訪れる。統計学的に考えれば、当然のことながらどの人にも運と不運は平等にやってくるはずだが、世の中には運の良い人と運の悪い人が必ずいる。この違いは何だろうか。ツイてる人はどんなことも諦めずに、自分のツキを信じて前進するが、運の悪い人は「どうせだめだよ」と思って、途中で諦めていることが多い。ここが運命の分かれ道なのだ。

運を捕まえるにはプラス思考と努力が大切。そして自分がツイていると思うことが肝心だ。運を呼び込むコツは次のようになる。

運を諦めずに継続的に捕まえようとする気持ちが必要。

運は捕まえられると思っている人にしか捕まえられない。

運は自分自身を幸運だと思っている人に訪れることが多い。

運不運は統計学的には単なる「一瞬の揺らぎ」だが、運を呼び込むことはできる。

長い人生には猛烈にツクことが二、三回ある。そのチャンスを逃さぬよう用心深く対処しよう。

運は切り開けるものであるが、日頃から頭を柔らかくして、チャンスをつかむ心の準備をしておくことが大事だ。ここで言う心の準備とは、いつチャンスが来るかもしれないという期待を常に持って、準備していることである。棚からぼたもちのような運はまずない。君の努力の結果として運が向いて来るのである。

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